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 ねぷた、ねぶたの起源は、津軽大灯篭
 文禄2年、津軽藩の重臣、服部長門守康成が、津軽為信の命を受けて、京で披露した「津軽の大灯篭」がねぷた、ねぶたの起源である。津軽為信が近衛信尹から下賜された「牡丹の丸」の家紋は、天下人、豊臣秀吉の許可を得たものでなかった。津軽為信は家紋下賜のお言葉を軽んじていないことを、京にいた近衛信尹に伝える事を考えた。そして灯篭に家紋を付けることを京にいる服部長門守に命じたのである。服部長門守はお家大事と牡丹絵にして披露した。この事が史実であることは、津軽藩史に、賜ったのは「牡丹花章」と記されている事でわかる。ねぷた、ねぶたの台には必ず「牡丹絵」が描かれる伝統として現代に続いている。⇒(本文はクリック)
 ねぷた、ねぶた囃子の笛は風流ふりゅうの響き
 盂蘭盆会うらぼんえとか盆灯篭ぼんとうろうは、仏教の行事である。京を中心として全国に風流ふりゅうとして伝播した祭りは、寺が主導した。祭りで使用する笛は「山科言継」の「一竹四穴」が重要だった筈である。民衆が合奏するためには、同じく音程を刻む笛無くしてはできない。初めは、「一竹四穴」を手本に同じ笛を作ったであろう。しかし、寺の氏子圏で同じ笛を作れば良いのであるから、笛の上手も現れて変化していく。
 ねぷた、ねぶた伝承地では、事情が違っていた。在方には、寺が少なかったのである。津軽為信は堀越城下民に高岡への移転を奨励した。それは、高岡城の構築を考えてのことだった。津軽信枚は高岡城下に寺町をつくり、曹洞宗(禅宗)はもとより、他宗も移転させた。寺町は慶安2年(1649)5月の大火により、新寺町に移転する。
 寛永5年8月20日、信枚は高岡を弘前と改称することを布令する。 在方には、もとより、寺が少ないうえに、城下に移転する寺が多かった。ねぷた、ねぶたの信仰は寺でなく「民間信仰」に結び付く。民間信仰では、統制が取れることはなく、ねぷた、ねぶたの笛は、何種類あるかも分からない程、外径、内径、長さが地区などで異なる。このバラバラこそ京から直接伝播した証の一つである。
 「民間信仰」とは、ねぷた(アイヌ語)+流し(日本語)であるから、ハイブリッドな信仰である。⇒(本文はクリック)
 ねぶたは青森県域の歴史
 ここに掲載するのは、青森県文化財保護協会発行の「東奥文化」第87号の「ねぷたの由来について」で発表したものをベースに加筆したものです。私は青森市出身です。子供の頃から柳田国男の「眠流し考」は違和感のあるものでした。大人達がガガスコで振る舞い酒を飲み、跳ね、酔いが回り、道端で寝込んでいるのをみて育ちました。ねぶたに眠りを戒める要素は ...
 あいぬ語で解る歴史
 アイヌ語呼称の北東北の習俗  「アイヌは文字を持たない」は、昔の話。明治の世、日本語教育で忘れ行くアイヌ語を残そうと、画期的な発明がなされました。アルファベット表記です。これによって、様々なことが分かります。「ねぶた」はアイヌ語であること。囃子言葉の「豆の葉留まれ」は元々アイヌ語であること。他にもアイヌ語呼称の習俗があること。  ...
 はじめに
 青森県の津軽地方や下北半島の北部などに伝わる「ねぷた」「ねぶた」は、今では、すっかり、全国的に有名になり ...
 東京青高同窓会会報からの皆様へ
 東京青高同窓会会報第21号(2013年3月1日発行)では、紙面の都合もあり、「津軽為信が、何をねツつこく ...
 1-1. 昔の囃子言葉
 絵は津軽藩江戸詰藩士比良野貞彦が国元に来て「ねぷた」を描いた「奥民図彙の子ムタ祭之図」天明8年(1788) ...
 1-2. はじめに
 青森県の津軽地方や下北半島の北部などに伝わる「ねぷた」「ねぶた」は、今では、すっかり、全国的に有名になり ...
 2. ねぶた由来記のあらすじ
 「ねぷた」や「ねぶた」の由来は、何故、解らなくなったのでしょう。それは、坂上田村麿由縁であったからなのです ...
 3. 日本後紀 の謎に ねぶた が
 ねぷたは、坂上田村麻呂軍であったことを誇りにした人達の伝承劇と言っていながら、今から、文室綿麻呂(ふんやのわたまろ) ...
 4. ラッセラー、ラッセラー
 今までの「ねぷた」由来研究者は、青森市他各地の「ラッセラー、ラッセラー、ラッセラッセラッセラー」という「ねぶたの ...
 5. 踊り競べという文化
 笛や太鼓で踊っているのを見て、自分も踊りたくなって、踊りに加わる。そんなことで誘き寄せられる訳がない。まんまと誘き ...
 6. 前九年の役と後三年の役
 坂上田村麻呂、文室綿麻呂の恩を受け、綿麻呂の時代に移り住んだ人々によって、「ねぶた」が、できたことを話しました。これ ...
 7. ねぶた伝承地は毛外の地
 「ねぶた」の由来は、平安時代の初期、つまり、文室綿麿の征夷にまで、遡りますから、青森県の歴史を語ることになるくらい ...
 8.ネプ流し、ネブ流し、ネプタ流し
 東北や信越地方にはネプ流し、ネブ流し、ネブタ流しといった習俗があります。精霊流しや七夕、または、人形や植物などに ...
 9. ねぷた と ねぶた
 青森では、「ねぶた」と言い、弘前では、「ねぷた」と言う。過去には、どちらかに統一しようとか、どちらが正しいか、論争が ...
 10. ねぷたは流れ、豆の葉は止まれ
 「ねぷた」や「ねぶた」が、その昔、その起源まで、遡っても、現代に残っているのと同じ事をしていたわけではありません。それ ...
 11.なまはげは毛むくじゃらのお頭
 「なまはげ」は、毛深いおかしらの意味で、何を指すのかというと、髪も鬢、あごひげ、くちひげ、ほおひげを伸ばしたアイヌの ...
 12. 近衛信尹と牡丹花
 「ねぶた」、「ねぷた」の台には、必ず、牡丹の絵が描かれるものでした。大正時代や昭和時代の初期の写真を見ると確認でき ...
 13. いちご煮も混ぜこぜ語
 いや、いきなり、旬な話題になってしまいました。農林水産省の郷土料理百選に青森県の苺煮が入ってしまったのです。実は ...
 14.ヤーヤードウドウ は喧嘩ねぷた
 青森や各地の「ラッセ、ラッセ、ラッセラー」という珍しい囃子言葉の意味は、解っていただけたと思います。では、弘前等の ...
 15. おしら様考
 東北、北海道、関東に多くの信仰を集めている「おしら様」の「おしら」もアイヌ語です。その意味は「OSARA――O(陰部)+ ...
 16. 名家老、服部長門守康成の謎
 津軽偏覧日記にある「津軽の大灯籠」の記述には、いくつかの謎があります。その一つは、ねぷたのアイデアを出したという服部 ...
 17. 津軽偏覧日記 の信憑性
 「津軽偏覧日記」の文禄2年の項に「津軽の大灯籠」の記述があります。これを「ねぷた」の起源とする説にとっては、解けない ...
 18. ねぷた が影響を受けた 風流
 風流と書いて、「ふりゅう」と読みます。応仁の乱が起こり、京の町が度々、戦火に覆われたころから、江戸時代の初期まで、その ...
 19. 津軽の大燈籠 の謎解き
 「津軽偏覧日記」の拾い読みをした別稿で、文禄2年の項に、飛ばして置いたのが、「津軽の大灯駕籠」の記述です。「ねぷた」の ...
 20. 眠り流しは間違い
 「眠り流し」説は、誤りである。「ねぶた」、「ねぷた」という祭りを、「眠り」を戒め、流した習俗という説を唱えたのは、著名な ...
 21. 津軽家文書と寛永諸家系図伝
 では、津軽家は、何時から、公の場で、「牡丹の丸」の家紋を使えるようになったのであろうか? 「津軽一統志」(1731年成る) ...